コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

オンラインサロンという宗教の始まり

宗教の始まり

 

ここ数年、私は最近聞き馴染みのオンラインサロンというものに所属しています。

まず、2013年末に一つ目、2014年後半から別のところに所属しています。

 

どちらも加入した当初はオンラインサロンという呼び名すらなかった時代と思います。

そこで所属しているといろんな事が見えてきました。そして、他者からはオンラインサロンは宗教化したものように捉えられるのではと思っています。

 

誤解して欲しくないのは、どちらのオンラインサロンも全く宗教とはかけ離れています。

 

オンラインサロンに所属して、1番強く感じたのは一般的な方々より、働き方がかなり柔軟であると言うことである。最近よく見られるのは、起業することが多いことです。そして特に大失敗してると言うわけでもなく、それなりの方々が成功しているのをよく見かけます。これからの時代は、1つの企業に続けるのではなく、転職を繰り返すことで自分のスキルを上げるような時代になっていると思っています。その中で企業というのも一つのオプションになています。そして最近よく思うのが、勉強しようと思えばネット上にいくらでも答えが載っており、学ぼうと思えばいくらでも学べて簡単に成功する道が示されています。結果的に起業する人がどんどん増えていき、成功率もかなり上がっていると思われます。そして働き方としても大きく負荷をかけるわけでもなく、給料が悪いわけでもなく、今まで自分たちが頑張っていたことからかなりかけ離れた場所に成功は存在している事にも気がつき始めています。そしてその感覚は大分一般の感覚からかけ離れたものだと感じています。

 


これらがオンラインサロンにいてひしひしと感じていることです。おそらくこれからオンラインサロンがどんどん立ち上がっていき、もちろん淘汰されていくと思いますが、それゆえに精度の高いオンラインサロンがいくつか生き残っていくと思われます。その結果、各オンラインサロンの中で培われていく文化は外部から見るとかなり特殊に映り、ある意味宗教的に見られると思っています。そこで一般とそうでない間に奇妙なきっちりとした境界が生じていき、お互いを理解できなくなる時代に突入する気がします。

 


そして、今の文化を生き続ける人たちはその別の人々を奇妙な目で見始めて、それを宗教的なものと感じる事でしょう。そしてその宗教的な文化を理解せざるをえなくなった状況において、また人を騙す人たちは簡単に宗教を作れる時代になり、怪しい宗教とまともなオンラインサロンを区別できない人たちが、その怪しい宗教に所属してしまい、結果被害を受けてしまう。そしてそのトータルした結果、すべてのオンラインサロンが怪しい者としてピックアップされてしまい政治的にどうするのかと言う議論が行われていくような気がする。おそらくその第一号が例の脱社畜サロンだと思います。現在時代はどんどん変化している。その中で、奇妙な文化が発生し始めている。

 


時代はどうなって行くか面白すぎてしょうがない。

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