コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

エチカ スピノザ

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この本で面白いのは哲学を数学的に書いていること。個人的に面白かったのは能動、受動をベクトル的に書いてあったことです。

外部の力があって動くのは受動。

カツアゲでお金払うのは受動、困っている人を見てお金を払うのは能動。同じお金を渡す行為でも外部からの圧力なのか、個人の意思かで変わってくる。


自由とは自分の中にある制限の中で、能動的に動くこと。例えば、右足がなくて走れなくても、自分のできる範囲で行動すれば自由だし、足があっても、誰かから強制されて走れないなら不自由となる。なので、常に能動的なのか受動的なのかを意識することが大切と書かれている。


また、スピノザは正しさや真理の認識の仕方が少し他の人とは違う。真理は現実を正確に認識することとある。真理自体は絵に描かれたように認識はできない。数学の証明を解くように、解いた後に真理であると認識できるもの。心理の基準は心理の外側に立てられない、物差しのようには測れない。個人が能動的に動いた結果、そこで得た経験の物差しから判断するもの。なので、個人のレベルが上がることで理解できる真理が増えてくる。

 


デカルト時代以降に真理についての認識が変化してしまった。デカルト以降は真理とは人に教えてもらって理解できると思うようになった。そんな時、スピノザは真理とは経験や成長することで分かるもの考え、他の考え方とは一線を分けた。

 


真理は体得するもの。

 


また、人は自分の中で真理をできるだけ完成させることが幸福につながる。

 


その結果、人間にとって人間ほど有益なものはないとスピノザは考えた。

 


この、行動して、考えて、経験しなければわからないという考え方はすごい共感できました。

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