コミュ障の頑張った人生年表
リマインダーとして自分の年表作りました。
<自分年表>
0歳:1981年誕生
?歳:幼稚園で豆まきをした際、鬼を本物と認識し死にものぐるいで逃走.先生方が大捜索する事態に(幼少期はこれ以外記憶が無い).
6歳:1987年 小学1年生
大崎さんに初恋
8歳:1989年 小学3年
この頃から記憶が定着。これ以前の記憶はほとんどない.母親曰く、いじめられていたとの事。そのため抑圧されて記憶が無いと思われる.
9~12歳:1990~93年 小学4~6年生
母親の強制で野球部入学.理由は、ダイエットのため。この頃、異常に太っていて、ローレル指数160以上。野球部では卒業記念試合で唯一打席に立ったのみ。その時、ライナーでファールを打ったあの感動は今でも覚えている。それ以外は、いじめの被対象として日夜頑張る。
12~15歳:1993~1996年 中学生
2年間バスケ部.このとき初めて補欠仲間の友達が出来た。私の名前が入った軍団(計3名)も出来上がり、人生のピーク?
この頃、万引きを開始。1年続けたが、捕まって母親の悲しい顔を見て足を洗う.悪い事をしなければ、いじめられるため、無理して頑張っていた。
15~18歳:1996~1999年 高校生
初めのオリエンテーション合宿で誰ともしゃべれず.同じ境遇の人がいて、その人の前で何度も髪をといていた。俺は君とは違うというアピールの意味(可愛い努力).アホでイケイケな高校だった為、なじめず.
援助交際、薬の話題が普通に教室でかわされていた。この頃から、自分は周りとは違う.自分は天才であるという自己催眠に入る。この催眠は効果抜群で、20代前半まで効果は続く.こうしないと自分の精神衛生を保つ事が出来なかった.高1でバイトでお金を得てポケベル+競馬を始める。ポケベルはベルナンで女の子と初めて知り合いになり、競馬は、初めてで万馬券を獲得して味を占める.高2でポケベルを通じて初めて彼女が出来る.半年後に不二の病いにかかったから別れてくれと言われ終了.これ以降女子が信じれず、ひどい目に遭わせ続けて来た。
また、学園祭では居場所が無く、トイレで時間を潰すという手法に出る。
18~19歳:2000年 浪人生
自分は天才だからそんなに勉強しないでも大学に入れると信じていたが、現役では落ちてしまったため、浪人。この年、年間で休みは10日以下という努力で、国立大に合格。自分は天才という自己催眠の恐ろしさを今感じている。
19~20歳:2001年 大学1年生
普通の世の中に驚愕する.
誰も私を威圧しないことに少し混乱する。周りはすべて優しい人で、その世界に順応するのに苦労し、混乱。何故か自動車部とアイスホッケーと対極している部に入部。
20歳~23歳:2002年~2003年
自己嫌悪を初めて意識する.
常に威圧的な態度もしくは直接的な暴力を受けるか、こちらが威圧的な態度を取るか虚勢を張るかという選択肢の人生から人を思いやる世界に突入。それ故、自分の取った行動で人を傷つける事はしていけないと初めて認識.それ故自分のとった行動で自己嫌悪する事が多数.ここから自己嫌悪との戦いが今にも続く.また、学生時代はずっと出会い系でしか女性と知り合えず、付き合った女性はすべて出会い系で出会ったメンヘル系ばかり
23~24歳:2004年 大学4年生
自分が天才でないと壁にぶつかる.ノーベル賞を本気で取れると信じていた自分と現実との自分のギャップをやっと理解.自己催眠が溶け初め、心の整理がつかなくなる。➡しばらくパニック障害に
とにかくパニック障害を抱え、全身の震え、硬直、鼻血を出しながら大学院合格.良くやれたと今でも思う。
24~26歳:2005~2006年 大学院時代
心の病気を抱えていたため、とにかく惰性で乗り切る.このころ、母親も精神的病気になり、親父が母親を捨てる等、色々めちゃくちゃに.
それが自分にとって良かったのか、人生捨ててもいいと腹がくくれたため、心が楽になっていく.
2007年:○○会社入社
病気で全身震える中、いろいろと対応.あの時の自分で、みんなの前で自己紹介出来た自分は誇りに思う.少しずつ自分に自信を取り戻せて来たので、思い切って薬を断つ。本来こういうやり方は駄目なのだが、自分の場合はそれで克服。この年以降、ほとんどこの症状は出ない.たまに緊張する時は出るが、皆こんなもんだろうと思って対応.
2011年:ニコ生にハマる.
2015年1月:海外出向
2016年6月:日本帰国 家を買う
2017年:斉藤ひとりさんにはまる
2018年:糖質制限とワインにハマる