コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

妻とは

突然、夜11時に嫁さんが来て、「話があるの。」と言われました。

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だいたい、夜は嫁さんが先に子供を連れて寝室に行き、私は1-2時間自分の時間を過ごしてから寝る感じです。しかし、その日は子供を寝かしつけた嫁さんが降りてきました。

現在、1歳と5歳の子供がいます。子供が一人だけの時はよく嫁さんと話はしていました。しかし、二人目が生まれると、なかなか嫁と二人っきりで話す機会もなくなり、そんな中の唐突の話。久しぶりすぎて、どのように話をするかクッションをお腹に抱えながらやや、もじもじしてしまいました。

 


話の内容は重くなく、単純に話がしたいということでした。嫁さんは1年ぐらい、個人レッスン?的な先生を持っており、その先生と生き方について相談していました。その中で、最近はパートナーとの関係を見つめ直す期間らしく、その一環で話をすることにしました。この2年ぐらいお互い色々勉強したり、自分のあり方に関して試行錯誤したことを話し合いました。

 


ここ最近、あまり考えてきませんでしたが、結婚とは何か改めて考えさせられました。子供を育てることはもちろん大切だが、そもそも結婚することに関してお互いの人生における位置付けとはなにか。

 


通常は人と人との関係はいつでも終われるオプションを保有しているものだが、結婚はそのオプションは非常事態のみ使うもの。その関係とはなんなのか。

 


当たり前かもしれないが、嫁さんにはかなりオープンになんでも話せる。だからこそ、そこが鏡になり、チェック機能になり、自分を見つめ直すことができる。また、自分だけではなく、家族というチームを保有することで、連携プレイについて勉強して、実践して、成長することができる。

 


あんまり上手く言えませんが、久しぶりに色々話せてよかったし、ありがたかったです。

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