コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

科学、似非科学

 


科学的、似非科学という事について、たとえ参考文献が乗ってようと見分けはつかないんじゃないのか?というような投稿を見て、ふと閃きました!

 


どう見分けるのか?

 


見分け方は一つだけで、ある理論が出た場合に、なぜそうなるのかを理解する事です。例えば、ある理論を見たときに、過去の文献で示されているから本当だ!と思うより、なぜそうなるかを理解したほうがいい。

なぜそうなるかを理解した場合、たとえその理解が違っていてもそれはいつか気が付くことが可能となる。理論の理屈を自分なりに持っていれば、あることをきっかけに間違えに気が付ける。そうすれば盲目的に信じることはなくなる。逆に、文献に乗っているから正しいと思うほうが、その考えを否定するチャンスを失ってしまう。また、理屈を理解しようとすると最初から盲目的に信じることが少なくなる。

 


いわゆる、予祝や願えば叶うというのも、最初は疑っていましたが、今は理屈で理解してます。あらかじめ、願えばそれに意識がフォーカスされ、意識が向くことでそのゴールに無意識に近づきやすくなる。

 


なんというか、盲目的に信じるのではなく、なぜそうなるか自分で一度咀嚼しておけば、たとえ間違った理論でもそれをいつかは修正できると思ってます。

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