コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

無駄な事をやらないのではなく、やりたくない事をやらない

今週は断る力について考えてまして、その結果行き着いたのは「無駄な事をやらないのではなく、やりたくない事をやらない」という事でした。

ある掲示板に、「円周率みたいな無駄なものを覚えるなんて意味ないね」と提起されて、それについて賛否されているものを見ました。

私の過去を振り返ってみると無駄な事は色々していました。たとえば、子供の時に炭酸を飲みかける場合はペットボトルの空間を小さくした方が炭酸が抜けにくいと聞いたために、大人になるまでそうしてました(ペットボトルの空間ができないように潰してました)。しかし、よく考えてみれば気圧が高い方が炭酸は抜けにくいので、逆に空気がいっぱい入っていた方が良いことに大分経ってから気がつきました。正直無駄な事をしてました。でも、無駄な事をしたからこそ、考える大切さにも気がつきけました。

 


個人的には無駄な事は悪くないと思っています。一方、したくない事はしない方がいいと思ってます。なので、断るということの判断基準を明確に保つための一つの指標に無駄な事は気にせずに、したくない事は辞めるというのがいいのではと考えました。

 


ある人が、「iPhoneの電池の減りが早くなったために電池交換を考え、1軒目の店で店員さんが親切だからその店で交換してしまった。だけど、ちゃんと断ってもっと検討すべきだった。」と書いてありました。

でもその人の目的はiphoneの電池の減りを解消したかったので、多少高くてもそれでいい気がします。一方、そのお店では料金が高いのでお店を変えたいけど、人がいいから断れなかった。と、こういう場合は断った方がいい気がする。

 


何でも断るというより、目標を明確に持ち、一方無駄な事は恐れない。無駄な事は何かにつながる可能性があるし、気乗りするなら無駄なことでもレッツトライ。一方、意味がないと判断したり、したくないと思う事はしない。

 


断るという事を考えたおかげで、大分判断基準が出来上がってきて良かったです!

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