コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

自由論 ジョンシチュアートミル

自由論を読んで

自由とは何か?という、中学生が抜けきれない人が考えるようなお題目。しかし、さすがミルさん、切り込んでいく、切り口が鮮やか。

まず、印象的だったのが、欲望や情動は理性や自制と同じように人間の一つの要素であり悪いものではないと記載されてる。
欲望や情動があっても、それを自制できるのであれば問題なく、あること自体はむしろ好ましいと。

よく、非道な事件があると、犯人の気持ちがわからないという論調になる。でも私的には、犯人の気持ちもわかった上で私はやらないという考えの方が安心なんじゃないかと。
危ない気持ちが理解せぬまま、忌み嫌っている人が何かのきっかけでその非道行為に興味を持った場合、それを実行する可能性があるし、自分で倫理的に考える際に対局の自己意見がないとセルフチェックできないのではと。

 

その他、感銘を受けたフレーズを記載しておきます。

 

中国人は 、イギリスの博愛主義者たちがいま熱心に追求していることを 、このうえなく理想的に成功させたのである ─ ─すなわち 、国民全員を画一化すること 、国民全員の思考や行動を同一の原理とル ールで統制すること 、これに成功した 。その結果が 、いま述べたような中国の現状なのである 。


習慣が宗教になる


フランスでは 、国民の大半が兵役の経験をもっているし 、下士官以上の地位だった者も多い 。したがって 、民衆が反乱を起こしたときには 、その指揮をとり 、その場にふさわしい作戦をあみだせる人間がかならず何人かいる 。アメリカ人は 、フランス人が軍事面で見せる力量を 、社会におけるあらゆる種類の事業で発揮する 。政府がない状態に放置しておくと 、アメリカ人の集団ならすぐさま政府をつくりあげ 、政治その他の公的な業務をしっかりとした知性と秩序と決断によって処理することができる 。これこそ 、すべての自由な国民のあるべき姿である 。また 、こういうことができる国民はまちがいなく自由だ 。

 

効用こそがあらゆる倫理的な問題の最終的な基準なのである 。ただし 、それは成長し続ける存在である人間の恒久の利益にもとづいた 、もっとも広い意味での効用でなければならない。

 

欲望を恐れるな良心が弱いから犯罪になる。

 

現代人が自分に問いかけるのは 、つぎのようなことである 。すなわち 、自分の地位には何がふさわしいのか 。自分と同じ身分 、同じ収入のひとびとは 、何をするのがふつうだろうか 。 (あるいはもっと下品な問いだが )自分より身分も高く 、収入も多いひとびとは 、何をするのがふつうだろうか 。
しかし 、 「誰もしないこと 」をすると 、あるいは 「誰もがすること 」をしないと 、人は非難される 。女性であればなおさらだ 。そういう人間は 、人の道に反することをしている者のように見られ 、侮蔑の対象となる 。

 

中国人は 、イギリスの博愛主義者たちがいま熱心に追求していることを 、このうえなく理想的に成功させたのである ─ ─すなわち 、国民全員を画一化すること 、国民全員の思考や行動を同一の原理とル ールで統制すること 、これに成功した 。その結果が 、いま述べたような中国の現状なのである 。
習慣が宗教になる。

 

慣習は盲目的に機械的に従うより、理性に従う方がいい。欲望も同様に個性だがそれを認めれる人は少ない。人は失敗から学び、AIは異なる。

 

x