コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

神と宗教と子供実験

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まず前提に意識、心とは記憶の集合体の中で生まれるものと定義する。

例えば子供の時の記憶、学生時代の記憶、大人になってからの記憶があり、現在起きている事象に対しては過去の記憶をよりどころに意思決定などをしている。ゆえに現在判断している自分とは過去の総合的な記憶、出来事から来ているものであり、それゆえ意識、心とは記憶、出来事の集合体と私は考えている。


それを前提に、私は神を信じている人がいることを不思議に思わない。なぜなら宗教や神というのは物の見え方の方向性であって、神を信じる人も信じない人も同じものを見ているのではないかと考えている。


私が神だと信じているものが1つある。

それは、


E=mc^2(E=エネルギー m=質量 c=光の速度)


である。

ただの質量とエネルギーの法則関係だ。

何が言いたいかというと、物理法則と神とは同じなんじゃないかと。

見え方が違うだけ。よく言われる話だが。。


例えばやかんに火をかけた場合、やかんの中の水は温度が上昇する。当たり前のことだ。ではなぜか?火のエネルギーは水の持っているエネルギーに対してエネルギーが何十倍も高い。それ故、エネルギーの高い火からエネルギーの低い水でエネルギーが移動する。だからやかんの水は温度が上昇し沸騰する。

なぜ、エネルギーが移動するのか?それはエントロピー増大の法則を使えば説明できるが、それ以上の説明は私はできない。もう少し昔勉強したことを調べる必要がある。しかし世の中の人にはこのぐらいの説明をできる人はごろごろいるかもしれない。しかしあるところで行き着いてしまいそれ以上の説明はできないはずだ。

例えば、大きな石を手で押して前に進む、この現象、どう説明する?

なぜ力をかけると物は動くのだ?


この根源的なルールが物理法則である。

こういう事は精神的なものにもある。あるDNA配列の人はこういう反応をする等、ある一定のルールで物事が起きるそんなルールがある。


それを、どう見るかで神なのか科学法則なのか分かれるのではないか?


どれのレイヤーで生きているのか、どれぐらいレイヤーを抱えて生きているかで認識は変わってくる。



火にかけると水が沸騰する。それは肌感覚でわかる。

しかし、飛行機が飛ぶのは肌感覚ではわからない。

じゃぁ、肌感覚でわかるように子供にどう教えるか?と考えていたらあらぬ方向に思考がいってしまったw

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