コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

大卒が死にたくなる時

基本的に、コミュニケーション能力が弱く

他に特技がない時、大体の確率で勉強に集中する。

勉強しているという行為が、友達がいない、寂しいという事から

自意識として解放してくれるからだ。

今俺は、寂しいんだと思うことは、10代にとってかなり残酷なこと。

それゆえ、何かをしているという実感と自意識が必要であり

手っ取り早いのが勉強になる。

これは意識的に勉強をチョイスするのではなく、俺は勉強ができるんだと思い込み

自然の流れでこうしているんだという意識が自分を救ってくれるからだ。

えとしてこういう場合は、すごく勉強ができるわけでもなく

中の上、上の下を彷徨うのみ。

それでも勉強ができるということが自分を保ってくれる。

 

そして、社会に出ると、勉強が出来ようがどうしようがまずはコミュニケーションが

求められる。

とてつもなく頭が切れれば、どうにかなるかもしれないが

そこそこの頭のやつはコミュニケーション能力も必要となる。

だから、死にたくなる。

いままで、勉強をしていれば自分の泥水を味わう必要がなかったのに

急に泥水を飲まされる状況に置かれる。

こんなはずじゃなかったと。

そして死にたくなる。

本当はもっとできるのになんでこんなとこにいるんだ。

なんでコミュニケーションみたいなクソな行為を求められるんだと。

少し前まで、私はこのような状況に陥って

本気で死ぬわけじゃないが、口癖のように死にたいとつぶやいていた。

 

しかし最近、そこそこでも、自分なりに頑張ればいい。

自分の、ちっぽけでもポリシィーを貫いて行けばいいんだと思うようになって

少し楽になって

楽しくなった。

何かを諦めて、何かを大事にすると少し心が楽になる。

 

salamat po!

x