コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

下卑するという事と自分

基本的に、私は卑屈になり、下卑します。

特に年上の人にはまぁ、謝ることでなんとかしようとする。

だからすぐに「ごめんなさい」という。

こういう人間はいっぱいいると思います。

こういう人間になる理由の一つは過去の環境です。

私の場合は明確で

1.親父に虐待されていた

2.友達にいじめられていた

この2つです。

親父には、虐待とまで書くと言い過ぎかもしれませんが、

例えば私は指を噛む癖があるのですが、それを直そうとして、親父がとった行動は

包丁を私に見せて、次噛んだら指を切る、と怒鳴る。

母親が内職で使っていた50cm程度ある竹の定規で殴られることはしばしば。

学校に行けば、太っていたのと、卑屈な自分が相見えて、いじめの対象になっていました。

まぁ、そういうわけで謝るという事でしか人と関わることができませんでした。

それゆえ、現在、人と関わるときにどうしたらいいかがわからない理由です。

コミュニケーション障害というよりかは、コミュニケーションの実践があまりに乏しく、過去の影響を引きずって「謝る」ということが反射レベルでの反応になってしまい

それゆえ人と交わりずらくなる。

 

じゃぁ、過去が悪いのか?

 

アドラー的に言えば、私が謝りたいから謝るそうです。

でも確かにそうかもしれない。

謝れば、変な方向にはいかない。今あり自分の選択肢でそれしかないからそうなる。

謝りたいから、卑屈になりたいからそうしてるんだと思う。

だからこそ、少しずつでも自分の力量を開拓しないといけない。

それが始まったのが30過ぎてから。

遅出の出発。

 

がんばるぞ!!

 

salamat po!

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