コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

意味がないことも意味がある

大概の組織で、よく言われるのは、「必要ないと分かっていても変えられないことがある」。例えば、メールで済むことを手書きが必須だったり、誰も必要としない報告書類を過去の慣習に基づいて作成報告しなければいないなど。

 


なんでこんな意味のないこと、無駄なことやらなきゃいけないんだと。

 


私今人の見解ではそれは仕方ないと思っていますし、ある意味、意味があると認識しています。

 


誰であれ、最初に何かルールを作るときに無意味や無駄になることを好んで作るわけがありません。

 


じゃあなんで、皆んな不満を嘆いているのか?

 


それは、あまりよく知らない偉い人が何気なく提案してそのまま通ってしまったか、過去は必要だったが、今時点では不要になってしまったシステムがあり、それが生き残っているから。

 


前者はその話に同意した人もその場にいるわけだからもうしょうがない。問題は後者だと思っています。

 


簡単に考えれば、意味がなくなったのでやめましょうと言えばいい。でも、波平さんに「髪をドライヤーで乾かすのはもう意味がないですよ。」と言えますか?ベテランの方々はそれを習慣として続けていて、それ故にそれはその行為そのもの意味より、ある意味その会社の文化としての意味づけになっているかもしれないです。そうなると、変えることは過去を否定された気がして気軽に了承できない。結果、変えようとする人はよほど理路整然と報告書をまとめないと変えるという決断に至らないし、変えようとした人はものすごい返り討ちにあう。

 


皆さんも経験ないでしょうか?パソコンのシステムを変える、事務所のレイアウトを変える、等々があると必ず文句の声が出てくる。それほど恒常性とは人間購えないものとなっている。

 


なので、私の場合は文句を言うのをやめて何故こんなことになっているのか、歴史学者のように興味深く観察することにしてます。そうすると、面白い人間の性が見えてきていい勉強となっています。

 


あとは意外にISO認証上必要だから無駄と分かってやっていることも多いですけど。。

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