コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

さよならの挨拶の意味

今年一杯で10年務めた会社を退社予定なんですが、かなりお世話になっている部署に先日出張に行きました。それは私の所属している部署からは所在地がかなり離れているため、泊まりでの出張となりました。ちょうど、その部署の忘年会が、出張の日程と重なり、そしてお誘いがあったので忘年会に参加する事になりました。

そして、タイミングよく?退職届の受理の連絡が私に来ていたので、公にその話をできるようになり、幹事のご好意で、退職の挨拶をさせてもらえる事になりました。

私はその部署にも所属した事はないんですが、所属する50人以上の人たちとかなり仲も良く、そのためか皆さんの前で話をさせてもらえました。

 


挨拶は、ありきたりのような話をしましたが、10年間の思い出話をして、感謝の意を伝えました。1ヶ月以上連続で一緒に国内や海外出張した仲間もいたりして一緒に仕事した時間が長い人が多かったので、話もそれなりに思い出深いものになりました。ちゃんと、笑えるようにうまく落として話は終わらせました。

 


事前に、幹事から最後の挨拶しましょうよと

言われ、時間もあったので事前に挨拶の内容を考えていました。

 


その時まず考えたのは、さよならの挨拶の意味、目的ってなんだろうと(こんな事考えるのもどうかしていますが、癖になってしまっていて、仕事、プライベート問わずにいつも目的は考えてしまいます)。

就任時は今後の人間関係を円滑にするためだし、異動時は感謝の意を伝える事で今後の関係含め円滑にするために挨拶する。

だけど最後の挨拶ってなんのためにするのか。私にとっては、最後にありがとうと言うことで、気持ちを決別できるが受け手にとってはいろんな感情が出てくるはず。

そして、そもそも挨拶なんてしなくてもいいのか、したほうがいいのか考え始めた。離婚する時、相手に改まって挨拶したほうがいいのか?その時の挨拶の意味ってなんだろうか?

お互い、自分たちの歩みが間違ってはいないんだと思わせたいから挨拶するのか?

色々悩んだ末にシンプルな答えとして、ポジティブな話で終始させる事で、前向きな気持ちを持てるような挨拶にしようと決めた。それでも、最後の挨拶ってなんだろうと言うモヤモヤは抱えてました。

 


挨拶を終えてしばらくして途中抜けで帰る旨を伝えました。その日は出張最終日で、翌日子供の行事もあることから飲酒はせずに忘年会途中で抜けることにしてました(帰るのに車で3時間以上かかる場所なので)。

 


帰りますと伝えたところ、急に呼び止められてその部署みんなで、

 


フレー!フレー!

 


と応援団がやるあの感じで私の名前を言って最後見送ってくれました。

 


帰りの車の中でまた、最後の挨拶について考えました。率直な感想として、あの時に味わっている感情は幸せなんだろうなと。久しぶりあんな気持ちになりました。こういうのは、宗教的観点や、儀式として、人間の本能から考えないと目的なんて出てこないんだろうな。こういう感じを目的と結論に分解できない自分はまだまだなんだなと思った。

そんなの、感じたことを大切にすればいいだけと言われるかもしれないが、こういう事もきちんと言語化もしくは意味付できるほうが人生大切なことを見逃さない五感が養われるんだと思う。

 


最後の挨拶の最後の言葉、と皆さんが声をはってくれた応援の時。

久しぶりの感情が出てくる。

これを定年で受けるのか、その前で受けるのかでは自分で受け取る感情や意味も変わるんだろうな。

 


全然関係ない部署の一人にここまでしてくれたのはありがたい。逆に自部署では挨拶もないと思うし、気持ちを察すれば自部署でやれないのもわかる。

今回の挨拶で、次の場所で中途半端にやれない気持ちが本当に強くなった。

 


そして、最後の挨拶の意味の答えはまだでないが、何かを終わる時はきちんと区切りをつけたほうが絶対いいと分かった。それは良くても悪くてもいいから、自分の中では白黒つけたほうが絶対いい。白黒つけないとどうしてもぼやけてしまう。

 

 

 

10年間、

ほんとうに

ありがとうございました。

 

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