コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

AKBプロレスの是非

f:id:merkmalz:20170910220537j:plain

最近、AKBのプロレス参加について是非が問われていることを発見して、すこしびっくりした。そもそも、私の中ではAKBのコンセプトはプロレスと思っていたからだ。
ある一定のルールとストーリーのお約束が決まっていて、そのお約束の線上から、たまに飛び越える出来事が起き、それを楽しむ。いろんな団体があって、確執があったりコラボしたり、色んな文脈を一つ一つ作り上げていくことで、多様な人の価値観に適応していく。
これってまさにプロレスじゃないのかな?
その中でプロレスという枠を使って話が始まっただけで、何が悪いのか?と思う。
プロレス舐めるんじゃない!という意見もあると思うけど、そもそもプロレスは様々な文脈の中で成立するもので、それがガチの場合もあるし、ゆるいものだってある。
そして、ガチ団体のファンがゆるい団体をバッシングするのはまだ許せる。それは結局そのコミュニティを理解し合えているもの同士が物語をガヤを使って盛り上げれるからだ。

腹がたつのは、外部の人が絶対的価値観と勝手に思い込んでいる考えで批判することだ。
この、暇つぶしのため、道徳倫理の振りかざし、どうにかして欲しいぜ。

x