コミュ障の自分心中

コミュ障で自分を変えようと必死でやってきて、自分は変えられないという結論に至る。そうであればこのままの自分のまま死ぬまで付き合おう、心中してやろう!って男の日記です。

NZ銃乱射

こういう事件があると、必ず私たちは「そんなことしない!」という前提からスタートして話が進んでいきます。

でも本当にそうでしょうか?私たちは”絶対”こんなことやらないのでしょうか?

 


もちろん、私は本事件には完全否定の立場です。それを踏まえての話です。

 


こういう事件があった時、私自身がやる可能性はあるかと問われれば、YESです。

 


まじですか?という声が聞こえそうですが、YESです。どんな可能性もゼロではない。もちろん、自分の意識としては絶対にやらないと思いますが、絶対は世の中にないと思っています。

 


もし万一、

/自分が見た人は死ぬ

/自死できない

/殺される事もできない(不死身)

/1hに30人以上殺したらその呪縛から解放される

となった場合、やらざる得なくなる可能性が出てくるのでは?

 


「そんな前提ありえない!不謹慎だ!」と言われると思いますが、確かにありえないです。でも、私たちが想像を超える現実的な前提で、こういう行為をしてしまう可能性は本当にないのでしようか?

怒って、人に悪口を言うことと、殺害するまでの間にあるボーダーラインを私たちは本当に完璧に認識できるるのでしょうか?

 


自分も含め可能性はゼロではないという危機感が、こういう事件を減らせると思っています。

 


だからこそ、「まず私たちもやる可能性がある。だからどうすべきか」と言う話をテレビとかでした方が建設的なのにな、といつも思います。

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