政治家は謝ったら死ぬでしょ!
よっぴーさんの記事を見て、なるほどと思い、自分なりに考えた。
http://www.asahi.com/sp/articles/ASKB7524JKB7OIPE01B.html
政治家は謝らない。そして、間違ったことを間違っていましたと謝れば好感度も上がってむしろ良くなるのではと。
ただ、この話を真面目に考えれば、すぐに答えは思いつく。政治家はよほど追い詰められない限り謝るわけはない。これは当たり前のことなんだと。
政治は個人でやっていない、組織単位で集まるからこそ政治となる。その組織単位の人を束ねている人が、その人の判断で謝れるわけがない。謝るなら組織の合意が必要だ。
それってどれだけ難しいことでしょう。
過半数で決めれることではなく、反対者が1人でもいたら謝ることを実行できない。
そんなの無理ゲーで、故に謝れるわけがない。
ここまでで、何が言いたいかというと、なんで世間はこんなに正しい正しくないにこだわっているのだろう。
たとえば、よっぴーさんの提言は本来は仕組み改善から攻めるべきじゃないのかと。
今の仕組みでは、謝れないのは明白じゃん。
じゃぁ、仕組みから変えていかないと。
正しいことを実行出来てないことに文句を言うより、正しいことがなぜ実行できないのかその背景を考えて、じゃぁどうすべきか考えないと。
おそらく政治家だって、今がおかしいのはわかっていても、今のルールではそう行動するしかないのでは?
たとえば、こうするのはどうだろう。
政治家1人の投票能力一人分というのがいけてない。
国民から信認の多い人はそのぶん票を確保できて、1人で何票も賛成票が投じればいい。
そのために、今の比例代表制を各党1人を候補者として、その1人が国民の投票数に応じて、自分の投票できる票数が変わる。
そうすれば、議員も減ってコストも浮く。
そして個人で力を多く持っているから、個人で判断しやすく、間違ったことは謝れる環境ができる。
問題は力の強い個人を誰かが操れる可能性もあるが、それでも今より動いやすくなるのでは?
もちろん、地方選挙もやって普通の力の政治家もいる状態にする。
こういう仕組みの話を盛り上げる場も必要なのではと、よっぴーさんの記事を見て痛烈に感じた。